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学生時代の記憶-あなたはこんなにすごい確率で生まれてきたんだよ、という偽善(個人の感想です)

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小学校とかでそんな授業があった

あなたは、こんなすごい低い確率の中、奇跡的にも生まれてきたんだよ、という授業。
小さいころ、そんなのが度々あった気がする。
そうなんだ、すごい、自分はそんな偶然に生まれてきたすばらしい人間なんだ、大事に生きなくては…って、素直に思えたらどんなに幸せだっただろう。
私だって、できることならそう思って感動したかった。

愛されて生きてきた人は素直にそう思えるんだろうか。

感動なんてできない自分

教室でそんなキラキラした授業が進む中、自分は完全にその輪の中には入れず、冷めた心で授業を聞いていた。

『言ってる事も分かる、どう思わせたいのかも理解はできるよ、でもね、だってさ、そもそも存在しなかったらそれだけのことじゃん。偶然、そうだろうね、だけど、それが起こらなかったら別の人間が生まれていただけの事で、自分が生まれたのはただの結果というだけだし。そもそも、私は別に生まれて来なくてよかったんだ。生まれて来なければその存在はなかったのだから、全てなかったわけで、感動する必要もないんだよ。ないものだったという事だよ。生まれてきたから、感動しろ、って言われるだけの話で、なかったらもうすべてないんだから、そんなことすら考える必要がないんだよ。歓迎されてもいないのにただこの世に出してこられて、こんなすごい確率で生まれてきたんだよ、ほーらすごいでしょ、感謝しなよ、って言われたところでどうやって感動できると思っているの?』

…と、そんな事は考えてないふりをして、表面上はちゃんと話を聞いて納得している態度を装いながら、自分の中でぐだぐだと、完全にその場に不釣り合いな感情を膨らませていた。

状況を思い出す。こんな確率、という例えに、夜空の星、が出てきた気がする。
この授業の事を思い出すと、暗い空に星が輝く様子が出てくる。

感想を書かされる

授業が終わった後には、しっかり感想文みたいなものも書かなければいけなかった。
もちろん感動してないし、何言ってるんだと思っているけれど、そんな事は書けるはずもない。
心にも思っていないことをつらつらと並べて、こう書いておけばいいんだろうというありきたりのいい子の感想を書いて出した。
何の意味があったんだろう。その授業を聞く前と聞いたあと、私の気持ちも心も何一つ変わらない。そんな上っ面の授業受けたところで変わるわけがない。

あぁ本当に、なんだったんだろう。

そんな適当な薄くて浅い授業をして感動するのは、そんな授業を聞かなくても自分の事を大事にできる環境に生まれてきた人だけだ。
そうじゃない人間の心をなんとかしたいと思うのなら、もっとちゃんと個人に寄り添わないと絶対に無理だと思う。

まぁどうせただ授業の一環ってだけで、そんな深く考えられてもいないんだろうけど。

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